ブランド柿のオーナーになりませんか? ひらたの柿で「就農」

 島根県が日本全国に誇るブランド「ひらたの柿」。Iターン、Uターンの方、異業種からの転職、定年をきっかけに「ひらたの柿」農家にチャレンジされる方が増えてきております。
 そんな「ひらたの柿」で就農を検討されている方のために、JAしまね出雲平田柿部会が窓口となって就農の支援制度や支援機関への取次を行なっております。
 最初は興味はあっても「何から始めれば良いかわからない...」「開業資金があまりなくて...」「どんな事するの?」等様々な課題や疑問があると思います。そんな課題や疑問を、JAしまね出雲平田柿部会が行政や支援機関と連携して解決に導くサポートをさせていただきます。「ひらたの柿」で就農を検討されている方はぜひ当ホームページよりお気軽にお問い合わせください。

就農体験談

小林さん 写真

「生きる力」を身に着けるためIT企業から転職!

小松 正嗣 さん

就農年:2014年

プロフィール

 島根大学入学のため島根へ来ました。卒業後、音楽活動をしていましたが地元に戻りIT企業に就職。しかし東日本大震災をきっかけに「生きる力」を身に付けたいと思い農業へ入門しました。

体験談

 就農初年度は正直ぼろぼろでした。研修先の農家は何十年も手入れがされた畑で道具も全てそろっていて修行中は何の苦労もありませんでした。しかし、「畑変われば農業変わる。自分の技術は全く通用しませんでした」。どの道具、育て方が自分の畑にはよいのか、師匠から学んだ「何でも自分で作る、工夫する」という教えを胸に一から試行錯誤を続けました。
 おいしさは土からだと考え、除草剤は使わないかわりに夏には夢でうなされるくらいに草刈りに追われました。そして、住み込みで働いた牧場から譲り受けた堆肥(たいひ)をまき土づくりにこだわりました。柿どろぼうにあったこともあります。被害を防ぐため、秋の収穫期には箱詰め作業の後、どろぼう対策で畑を見回り寝られるのは午前2時でした。
 「最後に休みをとったのはいつだろう。寝る以外は柿のことをしていて正直つらい。」でも『あんたんとこの柿おいしいわ』と言われるとむちゃくちゃうれしくて柿農家になってよかったなと思います。現在、柿壺(かきつぼ)株式会社を立ち上げ正社員3人とアルバイトで作業をしています。 <体験談収録:令和元年>

水浦さん 写真

自衛官、造園業を得て柿農家に転身!子育てと両立!

水浦 誠司 さん

就農年:2010年

プロフィール

 最初に就いた仕事は、自衛官。その後、造園の会社で剪定の技術を磨き独立。技術を存分に発揮できると、柿園を農家さんから引き継ぎ今年で十数年立ちました。

体験談

 現在は、柿園の経営だけでなく造園業や即応予備自衛官としても働いています。その中で東日本大震災の災害派遣を経験し、食べ物や飲み水の有り難さを改めて再確認する機会となりました。同時に食物を育てる魅力に取り憑かれ、美味しい柿を作りたべてもらいたいと強く思うようになりました。また、作業のやり方で味や実の大きさに変化があり、今は、試行錯誤することが楽しくなってきました。自分の努力が目に見えて分かる、人に喜んで貰える、自分も楽しい。今は、この働き方を選んで本当に良かったと思います。今後も農業を土台にして仕事を続けていきたいと考えています。
 ただいま、1歳児の子育て中。娘と柿園を走り回る日を心待ちにしています。
 <体験談収録:令和元年>

岡さん 写真

首都圏の会社員から柿農家女子に転身!

岡 愛 さん

就農年:2008年

プロフィール

 20代前半まで首都圏で会社員をしていましたが、農業をしたいと思い立ちUターンしました。果樹の専業農家である実家を手伝いながら様々な経験を経て、「ひらたの柿」就農に至りました。

体験談

 実家は果樹の専業農家で子供の頃から農業は身近な職業でしたので、職業の選択の一つでした。20代前半まで首都圏で会社員をしていましたが島根に戻って農業をしたいと思い、Uターンして実家の農業を手伝いながら、農業大学校で研修を受けたり県の農業機関でアルバイトをしたりしました。2008年に自営就農し、富有柿を主体に営農しています(富有柿40a、西条柿13a)。摘蕾や収穫の時期には、雇用も入れています。また、柿の葉を加工委託し、柿の葉茶も販売しています。 <体験談収録:令和元年>

<岡愛さんインタビュー動画>
奥さん 写真

Uターンで事業承継。沢山の仲間ができました!

奥 敏昭 さん

就農年:1997年

プロフィール

 家業を継ぐ形で就農しました。ごくたまにトロンボーン(Bass)を吹いたりしています。圃場でクラシック(交響曲)聞きながら作業するのが好きですが、いまだに周辺の理解を得るにはいたっておりません........。

体験談

 家業を父親より継いだ頃我が家では、父親が原木椎茸を営んでいる状況から地元の特産品である柿栽培を主力に切り替えているところでした。
 当時は「全国柿研究大会」が島根県で開催され、平田地域が視察圃場となったり、「ひらたの柿祭り」の開催を開始したりと地域をあげて産地活性化に取り組んでいる姿をわかりやすく実感でき、安心して就農できました。
 元々農業に関しては何も学んできていませんでしたが、青年農業者などの集まりであるJA農青連や、県内生産者の集まりなどに参加する事で近隣の同業者さん達との繋がりを持って来ました。
 学生時代に県外にいた事もあり若干の「浦島太郎感」は有りましたが、地元の各種集まりからもお誘いいただき消防団活動なども得るもの多く終了させていただきました。
 主力は「西条柿」、加えて「陽豊柿」「太秋柿」なども取り入れています。現在では労力分散を図るため、「桃・スモモ」「プルーン」「ぶどう(デラウエア)」を組み合わせた果樹栽培による複合経営を営んでおります。
 柿青年部に入った頃は自分より年下は入ってくれないんじゃないかと思ってましたが、気が付けば20人近くの仲間と共に活動しております。 <体験談収録:令和元年>